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NOTES ON THE MAKING OF THE FILM, BY ALAN PARKER (1/12)
1998年4月に初めてリムリックを訪れた時、私は『アンジェラの灰』友の会のホームページからダウンロードした一束の地図を握りしめていた。そのホームページに特別関心を寄せたのも、それが日本の読者に拠るものだったからである。どうしてアイルランド文化に全く無縁の文化圏が、私を惹きつけて止まないこのフランク・マコートの小説をかくも取り上げたのか。私は日本の熱狂的なファンがこと細かく記した地図を頼りに、オリヴァーが死ぬまで住んでいたウィンドミル通りの最初の家、初聖体拝領や堅信礼を受けた聖ヨセフ教会、リムリックシネマ(64年に閉鎖し現在は駐車場)と、念入りに後を辿った。
歩いているうちに、サウスパブの主人が満面の笑みを浮かべる外国人訪問客と抱き合っている写真が目立つように壁に貼ってあるのを見つけた。マラキ・シニア、パー伯父、ハノンの亡霊達はカウンターにもたれてギネスをすすりながら、どうして地元が急にこんな脚光を浴びるようになったのか、首を傾げていたことだろう。映画を撮り終えこうして書いている間にも、マコートの回想録への探求熱は更に過熱し、定期的に運行される「ウォーキング・ツアー」の広告を目にするようになった。ビラによると「毎日午後2:30から」「個人行動で」「参加費は一人4IR£(6$)」である。マコート狂の一団は何度読み返したかしれないその本を握りしめ、大抵ローデンレーンを求めてバラックヒルの丘を登る。しかしそこにはもう存在しないのでがっかりするのが落ちだ。私の個人的な印象では、リムリックで出会うある年代の人々は、二つのグループに分けられるように思う。今や裕福になったこのお高いアイルランドのヤンキーが自分の不遇な子供時代を誇張しているだけだと唱える人たちと、マコートと同じ境遇にいた人たちの両派に。
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