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NOTES ON THE MAKING OF THE FILM, BY ALAN PARKER (2/12)
私はこのフランク・マコートの著書が出版されてまもなくにに読んだ。その年にはピュリッツァー賞を伝記部門で受賞、既にベストセラーとなる兆しがあり、実際その通りになった。現在25カ国語に翻訳され、30カ国で600万部を売り上げている。117週間に渡り、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・ランクに登場した。私は初版の時点で映画化権の獲得に興味を示したが、それは既に先見の明のあるヴェテラン・プロデューサー、デイヴィッド・ブラウンとスコット・ルーディンの手に渡っていた。オーストラリアの脚本家ローラ・ジョーンズが素晴らしい脚本を上げており、私は監督に名乗りを上げた。それからすぐ原作に忠実な彼女の脚本を基に、自分なりの手を加えていった。フランクの美しい自伝を読んだことのある人なら、千差万別の独自のイメージを抱いていることだろう。映画を創る人間にとっては絶えざる脅威である。読者はそれぞれオリジナルな映像を自分の頭の中に創り上げているからである。この回想録の他にない特徴は、フランクが自分のことを語っていくその「声」にある。退職教師の含蓄ある言葉が、幼い子供の視点から一人称現在形で語られていくところにある。何十年もの間、彼は自分の子供時代のことを書きちらし、書きためたそのノートはズタ袋いっぱいあったという。「すぐに執筆には取りかかれなかった。あの頃は年中、他人の作文を採点するのに忙しすぎたから」とフランクは述懐する。「また出版する時期としてもふさわしくなかった。母が死に、自分も十分に成長した後でなければならないと思った。それには時間がかかった」とも語る。更にどういうスタイルで描くかも決まっていなかった。「イヴリン・ウォーやジェイムズ・ジョイスのような語り口を狙おうとした」らしい。現在形で語るフランク独自のスタイルは、孫娘キアラにヒントを得たものだった。「孫娘を観察していて、なんて率直なんだと気づいた。物事の前後にあれこれ考えたりしない。今自分がしていることにただ没頭しているだけだ。それで、いやらしい含みも詮索もない、子供の赤裸々な声で語り始めることにした。子供の言葉には嘘がない」
有名な文芸作品を脚色することは問題も多い。映画という形に凝縮する上で、ある登場人物や状況設定を割愛することは止むを得ないからである。私はフランクと昼食を共にし、どんな脚本も抱えるその問題点について語り合った。彼は常日頃から極めて寛大で前向きで、自作へのこだわりがなかった。そして話していて楽しい男だ。ウィットに富み歯切れのよい生来の話上手だ。会話というものがオリンピック種目に入るなら、「フランクはアイルランドを代表する選手になるだろう」といわれる程だ。当初はフランク自らが脚本を書き下ろそうと考えていたのではないかと思う。しかし最終的にその作業には新しい目と尽力を駆使した方がいいと判断したようだ。どんな作家でも多くの読者に愛された部分を必要に迫られてカットするのは心が痛むものだ。ティモニーさんやハノンさんは? テレサやパトリシアは? オニール先生やベンソンは? サウスやグレッソンは? しかしいつも親身な元英語教師フランクは、脚本が仕上がるまでずっと励ましてくれた。そして完成したローラと私の脚本に大きな賛辞を贈ってくれた。
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