『クレイドル・ウィル・ロック』は37年6月16日にマキシーヌ・エリオット劇場で初演の予定だったが、「予算削減と人員整理」のためWPA本部が新しいプロダクションの開幕を禁止、俳優組合もこの決定に同意したため、上演は不可能に思えた。本当の理由は労働争議を支持し資本家の不正を訴える内容に対する当局の警戒だったのだろう。

 ハウズマンが21ブロック先にあったヴェニス劇場を確保、劇団一同と観客が街を縦断する大行進でこの劇場に移る。組合の規程上俳優は舞台に立ったら仕事をしたとみなされるため、ブリッツスタインだけが舞台の上でピアノを演奏。ウェルズとハウズマン(双方とも自分のアイディアだったと主張)はあらかじめキャスト一同に客席に座って、自分の出番になったら立ち上がって台詞と歌を始めるよう指示した。真っ暗の客席をスポットライトが俳優を捜し出し、照らし出す効果はさぞドラマチックだったことだろう。これが大ウケで、この形のまま7月まで続演した。
 
 

 これをきっかけにウェルズとハウズマンはFTPを離れインディペンデント劇団『マーキュリー劇団』をシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を斬新な感覚で翻案した『シーザー〜独裁者の死』で旗揚げ。『クレイドル〜』も同劇団の人気演目で1938年には3カ月公演している。
 ウェルズは死の直前まで『クレイドル〜』上演の顛末を描く映画を準備しており、ルーパート・エヴェレットが若きウェルズを演じる予定だった。
 
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