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ディアーヌ・キュリス監督インタビュー
ヴェネチアの恋人たちの話は、文章ではよく書かれてきましたが、映画化されたことはありませんでした。なぜ映画化しようと思われたのですか?
「世紀児の告白」の中で、アルフレッド・ド・ミュッセは自分をさらけ出しています。シニカルな覚めた調子で、どのように理想の女性と出会ったかを書いていました。彼はその女性に恋をしたのですが相手にされず、気をひくために手を尽くしました。彼女の方が彼を愛し始めたとき、今度は彼がこの恋の脆さに気づいたのです。彼は反抗的で嫉妬深くなり、独占欲を強め、残酷になりました。そして幸せを壊していったのです。
最初にこの本を読んだとき、ミュッセのいう女性がジョルジュ・サンドだとは知りませんでした。それを知ったのはずっと後で、ミュッセの死後サンドが書いた「彼女と彼」を読んでからです。彼らの関係は、ふたりが生きていたころからずっと噂の的になり続けていました。評論家や学者、子孫たちがそれぞれに、いろんな話をふれ回っていました。何がこれほどまでに議論を呼んだのか?その謎を知りたかったのです。
ジョルジュ・サンドを通して、どういった女性像を描きたかったのでしょうか?
すべての自由な女性を讃えたかったのです。ある日「もうたくさんよ!」と言って立ち上がることのできるすべての女性、運命に逆らい、自らの手で道を切りひらく決意をした母親たちをです。たとえば2人の子供を連れて家を出た私の母を初めとして。ジョルジュ・サンドは女性のあるべき立場を擁護しました。表現の自由、情熱と幸福を求める権利。彼女は男女平等について書きました。しかし当時の社会の規律に背き、偽善を受け入れなかったために、非難を浴びたのです。そして若い女性たちも、彼女のスタイルを激しく非難しました。ズボンやタバコ、男たちに対する自由な態度をです。ややもすると、政治的立場を告発されました。彼女の才能は中傷され、蔑まれ、どの小説も大したものではないと言われました。しかし数え切れないほどの新聞記事や、彼女の素晴らしい自伝、文学至上最もすぐれた書簡作家のひとりであることを証明する5万通もの手紙を、人々は忘れていたのです。シャトーブリアン、フロベール、バルザック、ツルゲーネフ、ドストエフスキーらは彼女を絶賛していました。
あなたはサンドとミュッセの、美点も欠点も同じように描いています。そうした視点はなぜ重要だったのですか?
サンドとミュッセの、本来の人物像を見せる必要がありました。ふたりを公平にとらえ、彼らを愛し、卑小さも偉大さも含めて理解しようとしました。非難や批判をするのではなく。
ジョルジュ・サンドはミュッセに出会ったとき29歳で2人の子供がいました。ミュッセの方は23歳で、彼の世代では最高の詩人のひとりと言われていました。彼女は幸福を夢見ましたが、彼は病的なほど不幸を愛する人でした。彼女は自然と、地に足をつけた人間を好みました。一方彼は社交好きのパリジャンで、貴族的な放蕩児だったのです。彼らの情熱はときに敵対にも似ていました。私はサンドの矛盾が好きです。彼女の手紙を読むと、女として独立し、子供たちを教育し、恋に身をこがし、ジャムをつくり、83冊もの小説を書いた驚くべき素顔を知ることができます。ミュッセのもつ狂気、残酷さ、サディスティックな面も気に入っています。彼がペテン師でないからこそ許せるのです。私はふたりとも好きです。彼女には才能があり、彼は天才そのものでした。
シナリオを書くために、マレー・ヘッドとフランソワ=オリビエ・ルソーと共同作業しましたね。それぞれどんな役割を?
フランソワ=オリビエ・ルソーは、19世紀を完璧に知っている作家でしたので参加してもらいました。その時代を再現するかのように言葉をあやつり、映画にある種のニュアンスとアイロニーを、わかりやすく与える術を心得ていたのです。マレー・ヘッドはこの話に情熱をもっていました。彼は熱意と喜びをもって、すんなりとストーリーに入り込んだのです。そしてシナリオに現代性と深みを与えてくれました。また登場人物を精神的により理解し、再発見するためにも力を貸してくれたのです。
作業は2年かかりました。「世紀児の告白」をはじめ、ミュッセの詩やサンドの小説、ふたりの書簡からインスピレーションを得ました。サンドとミュッセの話で面白いのは、彼らは同時に情熱に生き、それを書き残し、そしてつき合っていたとき同様、別れてからも互いにそれらの作品で食べていたということです。
主に大変だったのは、友情やライバル意識、彼らを取り巻く社会を生き生きと描くことでした。ユゴー、デュマ、スタンダールや、ドラクロワやリストといった天才たちが華やかに揃った、信じがたい程きらめいていた時代を甦らせることでした。大切なのは真実を書くことでした。史実ではなく、感情とエモーションの真実を。すべてが真実であると同時に、真実はひとつもないのです。なぜなら本に書かれたものから、私たちはさらに再構築したからです。この映画は歴史的資料ではありません。リアリティの源泉から一部だけを借りたフィクションなのです。
歴史映画は重厚なものになりがちですが、どうやってそれを回避したのですか? 実力派あるスタッフたちが揃ってどのように撮影が進められたのでしょうか?
私は映画が登場人物のイメージそのものになって欲しいと思いました。つまり情熱と真摯さです。もったいぶった演出でなく、生身の心と身体を持った人間の苦悩を描こうとしました。ロマン主義のイメージは、あまりに甘ったるく、気取って受けとられがちです。しかしロマン主義は暴力、自由、反抗、誠実、若さをも掲げていたのです。ミュッセの人物像はとても現代的です。利己性と寛容、子供っぽさ、狂気、挑発と天才が混在していました。
ロマンとは、情熱と真実、苦悩、彷徨を永遠に探し求めることです。自然と生命を再発見するためです。19世紀の絵画や版画を見れば、男女のあり方がいかに現代的かがわかります。1830年には、今日と同じように人々は愛し合っていました。
アート・ディレクターのマキシム・ルビエールとは、時代考証という、とても重要な作業を行いました。ガヴァルニやドーミエのデッサン、ミュッセのクロッキー、ドラクロワの油彩を検証しました。すべて、観客が時代のことなど忘れて、このラヴストーリーにだけ集中できるようにという目的のために揃えた資料、つまり「制作のためのバイブル」だったのです。
クリスチャン・ラクロワもまた、映画の衣装の難しさを熟知していました。1830年代の色彩とカッティングを忠実に残し、まったくオリジナルな衣装を制作してくれたのです。彼は時代に息吹を与える術を心得ています。アナイス・ロマンとの共同作業で、女優が自然体で登場人物を演じられるようにと、主にやわらかい素材を選びました。また、あらゆるものに心を配っていました。ルダンゴト(身体にぴったりしたコート)に合う帽子、ドレスと靴、宝石も。彼の才能は驚くほどシンプルな形で、映画の中に生かされています。
ヴィルコ・フィラチはターナーの絵画、フリードリヒの田園風景、デヴェリアの挿絵から照明のヒントを得ました。しかしヴィルコは非常に直観的な人物で、金色の光やろうそくの炎といったありがちの方法に頼ることなく、私たちが求めた現代的な映像を生み出してくれたのです。彼がもたらしてくれたものは大きかったと思います。私たちはしばしば長回しをしました。画家がするように、わずかな光を左側に当ててみたり、また反射光を右に当ててみたり、と試しながら、撮影を重ねるごとに彼の光は進歩していきました。本物の芸術家が模索する様子はすばらしいものでした。
音楽はルイス・バカロフが担当ですね。映画の中ではロマン主義の作品も聴かれます。これもまた、エモーションと真正性の追求による選択なのですか?
映画の中にそうした音楽を使用するアイディアをくれたのはマレー・ヘッドでした。サンドとミュッセの時代には、音楽は人々に影響を与えていました。コンサートに行くのはもちろん、家で演奏もしていました。誰もが楽器を演奏したのです。サンドはハープを弾きました。「Histoire de ma vie」の中で、「音楽こそが神を信じさせてくれた」と語っています。シューマンやリスト、ベルリオーズ、タレガといった当時の音楽を使うのは必然的でした。
すべてのシナリオに関わったマレー・ヘッドは、音楽家でもあり、ロマン主義のレパートリーからテーマと、音色と、楽器を選択しました。ルイスは賢い人で、私がクラシックの作品を入れることに固執するのは、真正性を重んじてのことだと理解してくれました。彼はその才能と感受性で、過去の音楽に完璧に呼応し、映画に本質的な感動を与えてくれる音楽を作曲してくれたのです。
ジョルジュ・サンド役には、初めからジュリエット・ビノシュを考えていたのですか?
ジョルジュ・サンドはフェミニズムの象徴としては、おそらく世界で最も有名なフランス女性でしょう。アメリカには「ジョルジュ・サンド」と書かれたTシャツまであるくらいですからね!
サンド役にはビノシュが不可欠でした。彼女でなければ映画は成り立たなかったでしょう。ヒロインと同年齢のビノシュは、この強い登場人物にふさわしいと感じました。彼女は登場人物と同じ、強さと神秘と気品を兼ね備えていました。途方もない努力を重ね、すばらしい内面的成長をみせてくれました。ビノシュという女優は、ただの演技者ではありません。創造者です。どんなこともやれますが、言葉のひとつひとつ、すべての動作を感じとらなければなりません。彼女の難しさはそこにあります。
ミュッセにブノワ・マジメルを起用されたのはなぜですか?
ブノワ・マジメルにミュッセ役を演じてもらえたのは、とてもラッキーでした。この役をこなすに十分なほど頑丈な身体を持ち、同時にしゃれた道楽者風でもあり、天才的詩人にもふさわしい、などという、20歳から25歳のフランス人俳優は少ないのです。何度かのテストの後で、ブノワ・マジメルがすぐに浮かび上がってきました。彼ははまり役でした。頭が良く、奥深さがあり、魅力的で、人を引きつけるものがありました。若さにもかかわらず、彼の演技はかなりのプロとも思えるほどでした。
彼らのどんなところに驚きを感じましたか?
俳優にはいつも驚かされています。なぜなら、カメラの存在を忘れることがどれほど難しいか、私は知っているからです。信じがたい集中力で完全な無意識の中に沈み、すべてを駆使するのです。それが彼らの偉大さであり、神秘です。気難しく、情熱に満ちた、希有な才能を持つふたりの俳優を引き合わせたことに幸運を感じました。映写機の光の中で、彼らは本能的な恋を再現しました。そしてまた優れた脇役陣にも恵まれたのです。
この映画の究極のメッセージは何でしょうか?
人生における愛の役割と大切さは、すぐには正体を現さないものだと思います。時を経てようやく、その感情の大きさを知るのです。重要なのは、愛を経験しているときに、それを認めることです。生きることに対して勇気を持つことです。映画の終わりにサンドが、ある日ほんとうに、魂の底から愛した、と言えたように。この希望のメッセージによって、私は映画を締めくくりたかったのです。
聞き手:ファビアンヌ・ブラフェール
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