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青い井戸
B/T 美術手帖 紫牟田伸子

 私たちは水面から出来事を見つめる。まるでリアルではなく、ふわふわと漂う浮き雲のようなものだ。私たちは井戸の中を覗いている。私たちはすぐ目の前のひたひたの水面を見つめている。その水はにごってもいなければ、透きとおる冷たくもない。ただ青く、透明なのである。

 へスターとキャスリンは井戸のなかの人魚である。父親とふたり暮らしで心も居場所も外界から閉ざされたヘスターは水のなかに住み、外を知らず、また外へ飛び出したいとも感じない。へスターの暮らす世界は風も波もたたない水をたたえられた井戸なのだ。もうひとりの人魚は、若く奔放だが、世間知らずで、へスターの住む水のなかの世界に飛び込んだキャスリンだ。キャスリンはへスターの井戸のなかに、波紋を引き起こす。私たちは、水のなかで生活するふたりの女性をのぞき込んでいる。

 それこそが、この映画の大きな特徴である、画面いっぱいに湛えられた青い色なのだ。へスターの住む世界が、「青」で象徴されている。

 色彩というのは、さまざまな感情を引き起こすものだ。「ブルーな気分」なんていう言い方で、私たちは感情や状態を表現するわけだが、同じように、いやそれ以上にヴィジュアルな世界で色彩は大きな役割を担う。過去さまざまなアーティストが「青」を基調にした作品を残してきたが、その代表的なのは、中世イタリアの画家、ジョットのパトヴァの礼拝堂の壁画だろう。フレスコで天井近くの壁に描かれた聖者フランチェスコの物語の背景の空は真っ青、私たちを人間的な存在から引き離し、超越的な世界へと誘う。また、パブロ・ピカソは「青の時代」と呼ばれる初期の作品群で、サーカスの一座を淡々と描き、その深奥に潜む孤独や哀しみを表現している。20世紀初頭に多くのアーティストに影響を与えた人智学の祖ルドルフ・シュタイナーは『色彩の本質』という講演のなかで、青という色のもつ基本的な力について、「青は魂の輝きである」と述べている。青は、周辺から内へと向かう色だというのである。へスターの住む世界は、心の内側に閉ざされた内面世界としての「青」の世界である。

 一方、「青」は、若さや無邪気さ、無知で無垢―――まだ開かれず、「まだ青いね」状態をももっている。キャスリンは若さ=「青さ」をもった、成長する草である。

 そしてふたりに共通するのは、青い<性>である。ふたりとも性的には未開であって、へスターとキャスリンはこのふたつの「青」を水のなかで溶き合わせ、淡く現実感のない青い水の中の世界で身を寄せ合うのだ。へスターはキャスリンの登場によって、ひときわエクスタシーを感じるが、それがさまざまな色彩の渦巻く世界へと到達するカタストロフへのプロローグだということに気づきはしない。

 最後にふたりがそれぞれの自我を取り戻し、共生関係を解消するとき、ふたりは初めて井戸の外にでる。そこには緑の葉や自動車の赤、広がる荒野の土色などがはっきりと立ち現れる。外観のまぶしさのなかで青を消し去ったふたりは、決して「青」の世界に戻ることはないだろう。

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